「視点」
現場で見てきたことを、少しずつ。
なぜ、私はこの人を7年も追い続けているのか
医療や福祉の現場には、それぞれの役割があり、 どれも欠かせない専門性があると感じている。 その中で、平川の関わりを見てから、 なんとなく、でも初めから、この関わりには確かな価値があると感じていた。 ただ、その関わりは、目に見えにくい。 すぐに成果として現れるものでもなく、数値やデータにも置き換えにくい。 だからこそ、自分が感じているこの価値を、うまく言葉にすることができなかった。 何をしている人なのか。どこに価値があるのか。 その説明の[…続きを読む]
なぜ、この人に任せたくなるのか
平川のもとに来る人たちは、これまで真剣に向き合ってきた人が多い。 時間も、手間もかけて、できることはやってきた。 それでもなお、どこか満たされないものが残っている。 身体の回復というテーマに、限界を感じている人もいれば、 まだ何かできるのではないかと、模索している人もいる。 ただ、平川の視点で見ると、 やりたいことができていない、というよりも、「何をしたいのか」が、まだ表に出てきていない状態に近いのかもしれない。 多くの人は、まず身体を[…続きを読む]
変わる、ということ
私たちはつい、目に見えるものを求めてしまう。 身体の状態。歩き方。数値やデータ。 痛みが取れること。体が良くなること。 どれも、とても大切なことだと思う。 でも、そこにとらわれすぎると、見えなくなるものもあるのではないかと感じている。 身体だけではなく、心とのバランス。 その両方があって、はじめて整っていくものがあるように思う。 人の人生に関わる場面を見ていると、最後に求めているものは、少し違うところにあるようにも感じた。 痛みがないこ[…続きを読む]
受け身のままでは、変わらない
受け身のままでは、変わらないことがある。 リハビリはどこか、「受けるもの」として捉えられている場面が多い。 施術のように、用意されたものを受ける。 専門職が考え、それに沿って進んでいく。 それは、必要な関わりでもある。 でも、それだけでは動かない場面もあった。 平川の関わりを見ていると、違う流れが生まれているように見えた。 答えを与えるのではなく、一緒に進んでいる。 導くというよりも、横に並んでいる。 ときに迷いながら、その人にとって無[…続きを読む]
誰と関わるかで、人生は変わる
スポーツを見ていても、監督やコーチが変わった途端に、チームの流れが変わる場面がある。 同じ選手でも、関わる人が変わるだけで、引き出されるものが変わる。 私自身も、ピアノや書道を習ってきた中で、それを感じてきた。 教え方だけではなく、見られ方や関わり方によって、伸び方は大きく変わる。 よく見てくれていると感じるとき、自然と楽しくなり、結果もついてきた。 子育ての中でも、似たようなことを感じる場面がある。 どこの学校に入れるか。どの環境を選[…続きを読む]
変えようとすると、変わらない
私自身もそうだが、人はつい、手を出してしまう。 時間がないときは、なおさら。時間があっても、気づけば“やってあげている”。 ある日、母が祖母のジャケットを着せていた。 祖母は、自分で着ようとしていた。 自然な流れの中で、後ろから手が伸びる。 よくある場面だと思う。 施設でも同じような光景を見る。 本当は自分でできることでも、靴まで履かせてもらっている。 それは優しさであり、配慮であり、サービスでもある。 でも、平川の関わりを見ていると、[…続きを読む]
入り口が違う
リハビリと聞くと、身体機能の回復のために、歩く練習や筋力トレーニングを行う。 そんな場面を思い浮かべる人が多いと思う。 私自身も、理学療法士として、その役割のもとに関わってきた。 リハビリは、どこか「受けるもの」として捉えられている場面も多い。 だから、言われたことをこなす。用意されたメニューを行う。 それが、リハビリだと思っていた。 それは間違いではないし、必要なことでもある。 でも、それだけではなかった。 平川の関わりを見ていると、[…続きを読む]
人もまた、環境である
人との関係もまた、見えない環境として作用している 私はこれまで、理学療法士として、家屋調整にも関わってきた。 手すりや段差の解消。 環境を整えるといえば、そうした“物的なもの”を指すことが多い。 寝る場所、過ごす場所。福祉用具や住環境。 私も、環境とはそういうものだと思っていた。 平川の関わりを見ていて、ひとつ気づいたことがある。 人もまた、環境の一つだった。 ある方は、独居だった。 日々、関わる人が変わる中で、その「人」によって、状態[…続きを読む]
体だけを見ていても、変わらなかった
私はこれまで、理学療法士として、身体機能の回復や、歩く練習に関わってきた。 申し送りでは、疾患名や、歩行の状態がまず共有される。 認知症、左麻痺、骨折。 気づけば、「左麻痺の人」といったように、人を“病”で捉えてしまう場面も少なくなかった。 リハビリといえば、身体に特化した訓練や、歩行練習。 それが私の大切な役割だった。実際に必要とされている場面がほとんどだった。 そして多くの人もまた、それをリハビリだと受け止めている。 その身体機能の[…続きを読む]
なぜ、変わらないのか
関わりの中で、ふと立ち止まることがある。 変わりたいと思っているはずなのに、どこかで止まっているように見える。 身体のことも、環境のことも、できることはやっているはずなのに、 その先に進むことが、なぜか難しい。 私自身も、同じように感じることがあった。 どうしたらいいか分からない。動いた方がいいと分かっていても、どこかで止まってしまう。 うまく言えないけれど、一歩先に進むことに、ためらいのようなものがある。 いくつかの理由が、重なってい[…続きを読む]
現場で起きていることを、
観察し、言葉にしています。
OTCAMPに関わりながら、
関わりの中で生まれる変化や、その背景を記録しています。
— 渕之上