私たちはつい、
目に見えるものを求めてしまう。
身体の状態。
歩き方。
数値やデータ。
痛みが取れること。
体が良くなること。
どれも、とても大切なことだと思う。
でも、
そこにとらわれすぎると、
見えなくなるものもあるのではないかと感じている。
身体だけではなく、
心とのバランス。
その両方があって、
はじめて整っていくものがあるように思う。
人の人生に関わる場面を見ていると、
最後に求めているものは、
少し違うところにあるようにも感じた。
痛みがないことでも、
体が思うように動くことでもなく、
誰と過ごしたか。
どんな時間を生きたか。
やりたかったことに、
向き合えたかどうか。
悔いがないと思えるかどうか。
うまく言えないけれど、
そこに近いもののように感じている。
気づかないうちに、
自分の中で線を引いてしまっていることも、
あるのかもしれない。
平川の関わりの中で変化していく人たちを見ていると、
ある共通した流れがあるように見えた。
最初は、
自分のために始まる。
でも、
少しずつ自信がついていく中で、
誰かのために、
何かをしたいと口にするようになる。
自分の存在を、
どこかに残したいと思うようになる。
それは、
無理に引き出されたものではなく、
自然に立ち上がってくるように見えた。
ある人が、
「ありがとうをたくさんもらえる人生にしたい」と話していた。
その言葉を聞いたとき、
少しだけ立ち止まるような感覚があった。
お金や肩書き、
目の前の悩みも大切だけれど、
限られた時間の中で、
何を大切にして生きるのか。
その問いの方が、
もっと深いところにあるのかもしれないと思った。
私自身も、
人の人生に関わる一人として、
その視点はとても大切だと感じている。
これまで見てきた中で、
年齢や状態に関係なく、
変化が起きていく場面があった。
すぐに変わるわけではないけれど、
少しずつ動き出していく。
動けなかった人が、
自分らしさを取り戻していく。
言葉が少なかった人が、
楽しそうに何かを語るようになる。
気づけば、
その人の魅力が、
以前よりもはっきりと見えるようになっていた。
変わるというのは、
身体が良くなることだけではないのかもしれない。
もっと広くて、
まだ見えていない領域があるように感じている。
夢中になれるものがあること。
誰かと時間を分かち合えること。
自分らしくいられること。
そうしたものに触れたとき、
人は自然に変わっていくのかもしれない。
変わる、ということは、
何かを足すことではなく、
もともとその人の中にあったものが、
少しずつ表に出てくることなのかもしれない。
まだうまく言葉にしきれないけれど、
そう感じている。
文:渕之上