受け身のままでは、
変わらないことがある。
リハビリはどこか、
「受けるもの」として捉えられている場面が多い。
施術のように、
用意されたものを受ける。
専門職が考え、
それに沿って進んでいく。
それは、
必要な関わりでもある。
でも、
それだけでは動かない場面もあった。
平川の関わりを見ていると、
違う流れが生まれているように見えた。
答えを与えるのではなく、
一緒に進んでいる。
導くというよりも、
横に並んでいる。
ときに迷いながら、
その人にとって無理のない道を探している。
必要なときにだけ、
さりげなく方向を整える。
その関わりはとても自然で、
強く引っ張るわけでも、
突き放すわけでもない。
気がつくと、
自分で進んでいるように見える。
誰かにやらされたのではなく、
自分で選んで動いた感覚が残っている。
関わりを重ねる中で、
少しずつ意思が立ち上がっていく。
どうしたいのか。
どう在りたいのか。
それを自分で選び、
決めていく。
その意思が伴ったとき、
それまで動かなかった人が、
自分から動き出す場面を見てきた。
これまで、
気づかないうちに受け身になり、
どこかで依存してしまっている場面もあったのだと思う。
でも、
関わり方が変わると、
その状態も少しずつ変わっていく。
自立というよりも、
自分の足で進んでいく感覚。
必要なときには助けを求めながら、
自分で考え、選び、進んでいく。
その姿は、
どこか自然で、
そして強さがあった。
受け身のままでは、
変わらないことがある。
でも、
意思が動き出したとき、
人は自分で変わっていくのかもしれない。
私もまた、受け身でいた時間があったのだと思う。
文:渕之上