反応のなかった日常が、少しずつ動き出すまで

寝たきりに近い状態から、

囲碁をきっかけに生活と人とのつながりを取り戻していった過程。

※実際のご相談内容をもとに、個人が特定されないよう一部内容を調整し、ご本人・ご家族の了承を得て掲載しています。

 

-----ご家族の言葉をもとに、当時の様子を振り返ります。

今回のご相談は、

知人の勧めから紹介してもらったことがきっかけでした。

「どう接したらいいか分からなかった」

父は施設に入ってから、

ほとんどの時間をベッドで過ごすようになっていました。

会話は続かず、

何を考えているのか分からない。

声をかけても、

「わからないなぁ」

「さあ…」

そういった返事が返ってくるだけでした。

日中もぼんやりとしていて、

食事以外はほとんど寝ている。

昼夜も逆転していて、

以前の父とはまるで別人のようでした。

「少しでも元気になってくれたら」

そう思いながらも、

どう接したらいいのか分からない。

何をしてあげればいいのかも分からない状態でした。

何も起きない日常

施設での生活は、

一定の見守りや配慮のもとで過ごしていましたが、

実際には、転倒による怪我も経験しており、

その後の生活にも影響が出ていました。

安全に配慮された環境ではありましたが、

それだけでは防ぎきれない部分もあるのだと感じていました。

日中も車いす介助が中心で、

活動といえるものはほとんどなく、

ただ時間が過ぎていくような毎日でした。

以前好きだった囲碁も、

もうできない状態になっていました。

「このままでいいのか」

そう思いながらも、

どうすることもできない時間が続いていました。

環境の中で見えてきたこと

振り返ると、

父自身の状態だけでなく、

父を取り巻く環境や関わり方も、

少しずつ変わっていったように感じています。

施設での生活は整ってはいるものの、

日々の過ごし方や関わり方がある程度決まっている中で、

「このままでいいのだろうか」と

どこかで感じていた部分もありました。

ただ、それが当たり前の環境でもあり、

いつの間にか気にならなくなっていたのも事実でした。

そうした中で関わりが入ることで、

父の状態だけでなく、

周りとの関わり方や過ごし方も含めて、

少し距離を置いて見られるようになりました。

いわば「第三の視点」のようなものが入ったことで、

家族としても安心できた部分がありました。

父への関わり方、

スタッフの方との連携、

私たち家族の関わり方も含めて、

無理に変えるのではなく、

自然と整っていったように感じています。

その積み重ねが、

父の変化にもつながっていったのだと思います。

きっかけになった瞬間

関わりが始まってから、

これまでとは違う変化が見られるようになりました。

その中でも、

父が病前に好きだった囲碁に触れたとき、

ずっと忘れていた父の表情が、そこにありました。

碁盤を前に、

身体を起こす。

手を伸ばして指す。

最初はほんの数分。

それでも、それまでにはなかった動きと表情でした。

少しずつ戻ってきたもの

囲碁の時間が少しずつ伸びていき、

平川さんと集中して取り組む様子が見られるようになりました。

それに伴ってか、

日常の表情も、

以前よりやわらいで、

気づけば、

笑顔が見られる場面も増えていきました。

また、言葉も少しずつ増え、

簡単なやり取りができるようになっていきました。

「できるようになった」というよりも、

もともとあったものが、少しずつ戻ってきたような感覚でした。

変化していく父の姿に、

驚くことも多くありました。

日常が動き始めた

生活のリズムも整っていき、

日中起きている時間が増え、

施設内の活動にも参加するのが、

自然なことになっていきました。

囲碁だけでなく、

麻雀やボッチャ、

カラオケや書道など、

他の利用者の方との関わりも増えていきました。

気づけば、

「長老」と呼ばれて、

周りの方から親しまれる存在になっていました。

スタッフの方だけでなく、

掃除をされている方からも自然と声をかけられるようになり、

施設の中での関係も、

以前とは明らかに変わっていきました。

もう一度、外へ

身体面でも変化がありました。

当初は車いすでの生活でしたが、

少しずつ身体を動かす機会が増え、

軽い介助があれば歩けるようになり、

施設内だけでなく、近くのスーパーにも行くことができるようになりました。

家族での外食や、

温泉、買い物、美容室、実家への訪問。

以前は想像もできなかった時間を、

一緒に過ごせるようになりました。

見え方が変わったとき

以前は、

「認知症だから仕方がない」

「認知症の父」

そう思って、どこか諦め半分で接していた部分もありました。

でも、関わりが続く中で、

父に対する見え方が、少しずつ変わっていきました。

ただ介助するだけの関係ではなく、

以前のような関係に近づいていったように感じています。

今の姿

現在は、

施設の中で活動に参加しながら、

自分なりのペースで日々を過ごしているように見えます。

囲碁を打つこと。

美味しいものを食べること。

よく笑うこと。

そうした時間を、

穏やかに過ごしています。

「京都に行きたいね」

そんな言葉も出るようになりました。

最後に

正直、最初は半信半疑でした。

ここまで変わるとは、思っていませんでした。

「本当に同じ人なのか」と感じる瞬間もありました。

90歳の父が、

こんなふうに楽しそうに日々を過ごしている姿を見て、

少しだけ親孝行ができたような気がしています。

私自身にとっても、

止まっていた時間が、もう一度動き出したようでした。

あのときの状態からは、

想像できない今があります。

文・構成:渕之上