リハビリと聞くと、
身体機能の回復のために、
歩く練習や筋力トレーニングを行う。
そんな場面を思い浮かべる人が多いと思う。
私自身も、理学療法士として、
その役割のもとに関わってきた。
リハビリは、
どこか「受けるもの」として捉えられている場面も多い。
だから、
言われたことをこなす。
用意されたメニューを行う。
それが、
リハビリだと思っていた。
それは間違いではないし、
必要なことでもある。
でも、
それだけではなかった。
平川の関わりを見ていると、
“入り口”が違うことに気づいた。
それは、
体を整えてから、ではなく、
その人の中にある、
まだ表に出ていないものから入る。
本当は気になっていたことや、
どこかに残っていた思いのようなもの。
そうしたものを、
その人に合わせた形で、
実際にやってみる。
最初は、
できるはずがないと思っていたことでも、
いざやってみると、
これまでとは違う変化が生まれることがある。
表情が変わる。
言葉が変わる。
動きが変わる。
関わりの中で、
少しずつ意思が立ち上がっていくように見えた。
体に偏った関わりの中で、
どこか限界を感じる場面もあった。
そして、誰かにやってもらうのではなく、
自分で一歩踏み出そうとする。
その違いが、
その先の流れを分けているように見えた。
体が整ったから動くのではなく、
動き出したことで、
身体もまた変わっていくように見えた。
リハビリテーションという言葉は、
本来もっと広い意味を持っている。
医学的な回復だけでなく、
その人がどう生きるか、
どう社会と関わるか、
どう在るか。
そうしたものすべてを含んでいる。
私たちが普段イメージしているものは、
その一部に過ぎなかったのかもしれない。
平川の関わりは、
その広がりの中で、
その人の生活や人生につながる部分から
始まっているように見えた。
体が整ってから、ではない。
その人の中にあるものから、
始まっている。
どこから始めるかで、その先の流れは変わっていく。
その“入り口”が違うだけで、
その先は、
大きく変わっていく。
文:渕之上