平川のもとに来る人たちは、
これまで真剣に向き合ってきた人が多い。
時間も、手間もかけて、
できることはやってきた。
それでもなお、
どこか満たされないものが残っている。
身体の回復というテーマに、
限界を感じている人もいれば、
まだ何かできるのではないかと、
模索している人もいる。
ただ、
平川の視点で見ると、
やりたいことができていない、というよりも、
「何をしたいのか」が、
まだ表に出てきていない状態に近いのかもしれない。
多くの人は、
まず身体を良くすることに意識が向く。
それ以外の選択肢については、
考える余裕がなかったり、
最初から思い浮かばなかったりする。
その中で、
どこかに偏りが生まれているようにも見えた。
平川の関わりは、
そこに静かに入り込んでいく。
無理に引き出すのではなく、
その人の中にあるものを、
自然な形で外に出していく。
関わりの中で感じるのは、
どこか引き出しの多さのようなものだった。
特別に何かを教えるのではなく、
その人に合った楽しみ方や関わり方を、
自然と見つけていく。
どこか、
「楽しむこと」を知っている人でもあるのだと思う。
その感覚があるからこそ、
その人の中にある「やってみたい」に、
無理なく寄り添えるのかもしれない。
そして、もう一つ。
平川は、
関わりの中で大切にしていることがあるように感じた。
それは、
「対等であること」。
誰かが何かをしてあげる、
という関係ではなく、
同じ方向を見ながら、
一緒に進んでいくような関係性。
どこか、
映画 最強のふたりで描かれていたような、
立場を超えて関わる関係性に近いものを感じることもあった。
その距離感があるからこそ、
無理に引き上げるのではなく、
自然に動き出すことができるのかもしれない。
関わりの中では、
時にこちらが影響を受けることもある。
一方的に何かを与えるのではなく、
互いに影響し合うような関係。
それもまた、
この関わりの特徴の一つなのかもしれない。
実際に、
これまでに叶えてきたことの一部を聞くと、
それは単なる機能回復の枠には収まらない。
やってみたかったこと。
本当は諦めていたこと。
そうしたものに、
少しずつ手を伸ばしていく。
その積み重ねが、
その人の人生そのものを動かしていくように見えた。
そしてその関わりは、
一時的なものでは終わらない。
ある方のもとでは、
生活や仕事のあり方にまで広がり、
長い時間をかけて続いているという。
形式的な関係ではなく、
立場を超えた信頼がある。
その中で、
自然と任されていく領域が広がっていくのだと感じた。
ある方が、
平川の創業当初から、
何度も同じ言葉を口にしていた。
「僕は、あの人のファンだからね」
長く経営の世界で活躍されてきた
大久保秀夫氏の言葉だった。
最初は、
どこか不思議な感覚もあった。
何を見て、
そう感じているのか。
はっきりとした理由は、
まだ言葉にできていない。
それでも、
その言葉が何度も重なる中で、
関わりそのものに対して、
何かを感じ取っている人がいるのだと、
少しずつ実感するようになった。
私自身も、
どちらかというと現実の中で選択を重ねながら、
ここまで来たように思う。
やりたいことよりも、
優先すべきことを選び続けてきた中で、
「どうしたいのか」を考える機会は、
多くなかったのかもしれない。
それでも、
関わりの中で少しずつ、
自分の中にあったものに気づき、
それを言葉にできるようになっていった。
気づけば、
長く関わり続けている。
特別な理由があったわけではなく、
その関わりの中で見えてきたものが、
自分にとって意味のあるものに変わっていったのだと思う。
簡単なことではなかったけれど、
それでも続いているのは、
その時間に確かな手応えがあるからなのかもしれない。
なぜ任せたくなるのか。
それは、
何かをしてくれるからではなく、
その人と関わることで、
自分の中の何かが動き出すと、
感じられるからなのかもしれない。
こうした関わりを、
本当に必要としている方に、
どこかで届けばと思っている。
その“きっかけ”になるような関わりを、
これからも伝えていきたいと思う。
文:渕之上